こうやって君達の子供はバカになる

14時頃、近所のオバちゃんが打ち水をしていた。
間違った日本語が長く使われると、公式に認められる事があるし、使われない言葉は死語となり古語になる。
例えば、「舌打ちをする」といえば「(1)残念な気持ちや不愉快な気持ちなどを表す動作」しか浮かばない人が増えた。少なくとも、僕が質問をした時もう1つの意味を答えられた者は今のところ1人。「(2)美味なものを味わったりするときの動作」を知っている人はもうほとんど居ない。使っている人を見たことが無い。ちなみに僕がこの意味を知ったのは、高校生の時、夏目漱石だったか芥川龍之介だったかの物語に出てきたのを見た時。後に森博嗣の浮遊研究室でも見た。

敬語も、漢字の読み方も、滅茶苦茶。いつぞやのブームで「役不足」「確信犯」は有名な単語になった。「気の置けない」とかも。
正しいも間違いも滅茶苦茶の世の中で良いんだろうか。間違いでも皆が使えばデファクトスタンダード。「赤信号、みんなで渡れば怖くない」と同じだ。デジュールスタンダードが邪魔にさえ感じるのか。正しいことを知っている事が優位にならないのだろうか。何が優先されているんだろう。頭が悪くても人付き合いが良い方が良いのか。1人ですることよりも皆ですることの方が良いのか。たとえ意味が無くても、意味なんて知らなくても、やる事そのものに意味が出来たのか。意味なんて知らないほうが良いのか。波風が立たないならそれが良い事なのか(最近こればっかり)。