"好き"しか知らないこの世代

やっぱり物語はハッピィエンドが良い。
例え幾ら人が死んだって、自分の物語はハッピィエンドが良い。
望んで叶うのなら、誰も死なないハッピィエンドが良い。
架空の恐怖が押し潰されるほど現実が怖くなり、世界が怖くなり、人が怖くなり、自分以外を信じられない事を哀しく思う暇も無く、ただただ自分以外を否定する世の中に居たとしても、ハッピィエンドが良い。
ドラゴンボール』じゃ無いんだから、『幽遊白書』じゃないんだから、自分の敵なんて必要無いし、戦いなんて必要無いし、命を懸ける必要も無いのが、当たり前で普通だ。
当たり前が普通じゃなくなった時期がある。戦争の時代がそうだし、テロ以降の今の時代もまあそうだ。
航空機でビルに突っ込んだ者は敵になった。戦いが起こり、命を懸けている者が何人も居る。
周りがそうである以上、自分の物語の中に、いつ敵が登場するかなんて、分からない。今すぐかもしれない。
でも、そんな状態でも、どんな状態でも、ハッピィエンドが良い。
そのために、僕は生きている。生きていることがつまらないとは思わない。生きていることが楽しい。《生きていると思っている》。
ハッピィエンド以外がある事は知っている。でも、そんなもの、僕の物語には不要だ。
だから、いつも、ハッピィエンドが良い。

ネコソギラジカル(下)青色サヴァンと戯言遣い (講談社ノベルス)

ネコソギラジカル(下)青色サヴァンと戯言遣い (講談社ノベルス)

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(ネタバレ付き感想)
未回収伏線って、自分で考えられるから好き。想像が出来て、ある程度答えを考えて、あれも良いなこれも良いなと膨らむから好き。だからこそ、この『ネコソギラジカル』で終わる『戯言シリーズ』がミステリィとして読めたんだと思う。綺麗さっぱり全て、著者から説明されたら、深さも広さも無い、ただの状況説明文章だから。
それでも、片が付く部分は全て片付けたのは見事。敵としての《十三怪談》、《狐面の男=人類最悪》西東天、そしていーちゃんの周りの仲間達。『クビキリサイクル』の時には、これっぽっちも終わるなんて思っていなかった。『ネコソギラジカル』が終わる直前まで、終わるなんて思っていなかった。だから、今とても幸せだ。
《魔女》の七々見奈波は未だに引っかかっているが、新シリーズの伏線なら嬉しい。
いーちゃんの名前は結局分からず仕舞い。ここまで徹底すると、微笑ましい。別の小説でこっそり本名で出ていたら、面白いと思う。『タンデムローターの方法論』収録、西尾維新『明けない夜とさめない夢』で「一人の戯言遣いの物語を書く」と言ったイイジマはどういう位置関係なのだろう。いーちゃんと、呼べないことも無いのだが。
まだまだ終わった気がしない。いつまでも続いていそうな気がする。
何といっても、まだ、世界も、物語も、まだ終わっていないのだから。






「というのは嘘でみんな死にました。」は勘弁(笑)。