近親婚の禁止

初めに書いておくが、勿論一般的な話。


民法:近親者間の婚姻の禁止

第七百三十四条
直系血族又は三親等内の傍系血族の間では、婚姻をすることができない。ただし、養子と養方の傍系血族との間では、この限りでない。
2 第八百十七条の九の規定により親族関係が終了した後も、前項と同様とする。
第七百三十五条
直系姻族の間では、婚姻をすることができない。第七百二十八条又は第八百十七条の九の規定により姻族関係が終了した後も、同様とする。
第七百三十六条
養子若しくはその配偶者又は養子の直系卑属若しくはその配偶者と養親又はその直系尊属との間では、第七百二十九条の規定により親族関係が終了した後でも、婚姻をすることができない。

問題は大きく、「生物学的理由」、「社会学的(文化的・倫理的・心理学的)禁忌による理由」に分かれる。
社会学的(文化的・倫理的・心理学的)禁忌による理由」については、過去の歴史(すぐに思いつくのは、古代エジプト王家や日本の天皇家)や文化的未発達諸国で近親婚が行われているのを見ると分かる様に、普遍的理由にはならない。
例えば、法律で近親婚が禁止されている国や、近親婚が禁止されていても、その"近親"の範囲が国によって異なる。
ウェスタマーク(ウェスターマーク)効果」はよく知られた心理学的理由だが、現実に近親相姦が実在している以上、確かな理由にはならない。
さて、最も有効な理由となり得る「生物学的理由」。
近親交配で生まれる子は異常児(障害児)として生まれる確率が上がるなると聞く。確かにそれは事実で、常染色体劣性遺伝子同士の交配によって生まれる子は劣性形質の出現頻度が高くなる事が簡単な確率の計算で分かる。

ただし、これらの計算は全て劣性遺伝子同士の自然交配の話で、今は違う。
遺伝子学が進歩し、出産前、腹の中にいる赤ん坊の段階で遺伝子情報から異常などを早期発見し、治す技術が浸透して、異常児の生まれる可能性が小さくなる時代も来るだろう。そうなると、いつかは近親婚の「生物学的理由」について解決できる日が来る。
ただ、その「生物学的理由」を解決する方法の誕生によって近親婚を認めようとする動きが起こるかどうかが問題で、先に「社会学的(文化的・倫理的・心理学的)禁忌による理由」が解決されていれば動きは起こるだろう(すでに近親婚を認めようとする動きが起こっているからこそ「社会学的(文化的・倫理的・心理学的)禁忌による理由」が認められているのだから)が、「社会学的(文化的・倫理的・心理学的)禁忌による理由」が残っている段階で、近親婚を認めようとする動きが起こるかどうかは確かでない。
決定的なキッカケさえあれば、「社会学的(文化的・倫理的・心理学的)禁忌による理由」の解決を見い出し、法律の改正から近親婚が認められる時代が来るのだろう。
モラルのみに於いて禁止される事項というのは、反発し易い。そのモラルさえ打ち崩せば壊せる可能性が大きいのだから。
それでも、この社会にはモラルのみで支えられている制限事項が幾つもある。それは過去にはモラル以外の理由があったが、今の時代に通用しなくなり、結果モラルのみが残されたもの、初めから伝統に仕立て上げるつもりでモラルをくっ付けたものなど、様々だ。
ところで、中学2年生辺りが考えそうな事。殺人をしてはいけない理由は何か。殺人が禁止されていなければ、殺される危険(可能性)が、禁止されている社会よりも大きい。それは社会を生きる上で不都合になる(常に殺される事を考えて生きていくのは辛い)。よって、皆で殺人を禁止し、殺される可能性を小さくし、生きやすい社会となった。これが最も分かりやすい理由だろう。憲法で言うところの、"公共の福祉"にも通じる考え方である。殺人が人間的で無い、自分がされたくない事は他人にしないなど、倫理的理由は決して確かな理由にはなり得ない。
そんな壊しやすい社会で僕達は暮らしている。文化的社会とも言えるし、善意の社会であるとも言えるし、お人好しの社会とも言える。
だから、本当は、いつ、どこで壊れたって不思議では無い。