女達とある教祖のお話

昔、千石イエスという人がいた。
今、「千石」と聞けば許斐剛テニスの王子様』の山吹中・千石清純(通称:ラッキー千石)だろうか。「イエス」と聞けば又吉イエス(本名:又吉光雄)だろうか。
又吉イエスより20年以上前に生まれ、今から約25年前に時の人であった、千石イエスこと千石剛賢。
1923年7月12日、兵庫県生まれ。
聖書を研究するグループに参加した後、1960年(37歳)、東京で「極東キリスト集会」結成。1975年に「イエスの方舟」と改称。
イエスの方舟」には人間関係・家族関係・人生に悩みを持つ若い女性が集まり、メンバは20人を超えるようになった。
信者達は各家を出、共同生活を送っていたため、家族とのトラブルが増え、社会問題にまでなった。
そこで、1978年(55歳)の5月頃から約2年間、信者の家族を避けるために、千石剛賢と女性10人を含む信者25人が集団失踪。東京から福岡まで信者らと全国を転々とした。
この頃から、マスコミは教祖の千石剛賢を「千石イエス」と名付け、「現代の神隠し」と言い騒いだ。因みに、千石剛賢自身が「千石イエス」を名乗ったことは無く、信者からは「おっちゃん」で通っていた。
1979年12月、『婦人公論』に信者の母親の手記「千石イエスよ、娘を返せ」が掲載。警察も、家出人捜索のほか名誉棄損の容疑で千石剛賢の逮捕状を取り、公開捜査に乗り切る。
1980年(57歳)の3月、熱海で発見され、福岡に滞在する信者8人が警察に保護、千石イエスは逮捕された。しかし、信者らが聖書を勉強するため自らの意思で参加したと説明し、不起訴処分となった。
以降は、福岡市にて、スナッククラブ「シオンの娘」で聖書の研究会を開く傍ら、一般市民の身の上相談に応じるなどの活動をしていた。また、1993年からは、古賀市に建てた教会兼自宅『イエスの方舟会堂』で信者との共同生活を続けていた。
2001年12月11日死亡。死亡届は12日提出。享年78歳。死因不明。

2005年は、1980年に似ていた。不況でも好況でもなく、中途半端な年。単語を挙げていけば、自民党圧勝、ルービックキューブ。少しずれるが、イラン・イラク戦争イラク戦争、MANZAIブーム(漫才ブーム)はお笑いブーム、ウォークマンのヒットはiPod以降の携帯音楽プレイヤのヒットと結びつけよう。竹の子族に似た集団は居ないかな?因みに、予備校生(二浪)が金属バットで両親を殺したのは、1980年11月29日。
当時の女性達は、千石剛賢に縋る方法しか知らなかった。千石剛賢から教えられる聖書の文が救いとなり、そのために元の生活を投げ出してでも、「イエスの方舟」と共にいることを選んだ。信者にとっての家族は、「イエスの方舟」の方だった。
今でもそういう手段はある。1990年代のオウム真理教がそうだったし、それ以降も幾つか新興宗教がマスコミに取り沙汰されていた。最近は表ではそういう話は聞かないが、それでも何かに縋って生活を投げ出す人はいるだろう。
新興宗教に限った話では無い。要は、かつての女性達が「イエスの方舟」で聞いた聖書と同じ様な、その者にとっての「聖書」があればそれに縋りつく。
最近流れる歌にはそういう雰囲気がある、と感じた。
ファッションリーダと呼ばれたあの歌手や、チヤホヤされるジャニーズの歌手や、最近の歌の多くが、そういう宗教的な雰囲気を持っていると感じる。それに、最近ピンの歌手が減ったと思う。1人での歌手が少ない。どれも何人かのグループ。
「恋」や「愛」に縋り、「君」に縋り、「友」に縋り。
ラジオで新曲が流れる。流行っているんだろう。曲が売れ、多くの者が何度も耳にし、何か考えるのだろうか。
良い悪いを別にしても、危ういとは思う。
「自分」に縋る、という手段を何故隠す。恥ずかしいか。格好悪いか。1人で歩いて何が悪い。
最近の曲は、僕に合っていない様だ。