個人セパレータ

よく、この米TIME誌の2006年「Person of the Year」に「You」が選ばれたという話を目にするのだが、2007年4月に出版された第36回メフィスト賞受賞作が深水黎一郎『ウルチモ・トルッコ 犯人はあなただ!』で、表紙にミラーが貼ってあるという話題は全然出てこない。
Webは、個人を個人のドメインそのままに活動出来る、容易に他に影響を与えうる存在にする力を持つ道具である事は間違いない。個人が何にも属さなくても、個人の意見を発信出来る。
それは、自分の意見には自分が責任を全て負うという事を示している。勿論、Web上にはそうでない場もあるのだけれど、現実世界で集団の責任の擦り付け合いに疲れていると、自己責任なんて当たり前の事なのに、Webのそういう状態は居心地が良くなる。
誰もが誰でもアクセス出来る情報を発信して、誰もが全ての情報を受信すると、恐らく機械は大丈夫だろうが、人がパンクする。だから、どこかでブレーキが掛かる。掛かっている。それが、人らしさってやつなんだろう。