他人の失敗

他人の不幸は蜜の味、なんて言葉があるけれど、蜜ってあまり沢山食べられないよね。
こういう、故意にしろ過失にしろ、他人の失敗が表沙汰になって、その失敗からどう立ち直ったか、あるいは、どう死んだか、が発表される事がしばしばある。事実でなくても、小説や漫画の中で、そういった紆余曲折が表現される事もある。
それは、発信者にとって、我々に同じ過ちを繰り返して欲しくない、または、激動の人生をエンタテイメントとして感じて欲しい、など、様々の意図を含めて、発信される。
それを見て、我々受信者は、自分が今経験していなくても、いずれするかもしれない事を想定し、対処方法を記憶する。所謂、いざとなったら、こんな事もあろうかと、と言いたくなる様な知識の蓄えだ。
経験をしていない者にとって、本当の困難というのは、分からないものなのかも知れない。しかし、困難に対する緩衝材として、想定の範囲外を範囲内に持ってくる道具として、他人の失敗というのは、大いに価値がある。