記号化したセカイ

数学や情報科学は様々な形の無いものを扱う。そこで「記号化」だ。形の定義を記号によって行う。例えば、チューリング機械なんてものは定番だ。レッテル貼りとは区別しよう。
論理とか概念とか方程式を記号に持ってくるまでの労力がかなり必要になる。一旦確立してしまえば記号が独立・発展するので記号による記号体系が発達する。
ところが、一旦記号化されたものを論理に戻す時、例えば人に説明する時などの際にはまた労力が掛かる。無自覚事項として記号化された情報を再び自覚しなければならないという作業はそれだけで億劫になりがちだからである。
人によっては、形のある世界=言語化体系と形の無い世界=記号化体系と、どちらが理解しやすいか分かれるのですが。
教育によっては教師の適切な記号化によって生徒の理解を高めるという考え方がある。教育の受け手である生徒は、記号化された情報から無意識を引っ張り出して論理を考える、という手法。生徒の頭脳によって違いが出てくるところではありますが。記号のままで終わればその先には進めない、というわけだ。
少し前から小説でもゲームでも、記号の暴走とか言われていますが、記号は独り歩きするために作られるものですよ。記号化しないと全部意識しなければいけないのですから。村上春樹美少女ゲームもね。
ニートという記号。フィギュア萌え族(仮)という記号。ストーカという記号。どれもこれも記号だということに気付いて下さい。