考える"点"と答えを求める"線"

"戦争"はあくまでも1つの方法であって、それ自体は意味を持たない。
人が多く死に、多くの人が悲しんだので"戦争"は悪である。一方で科学や技術が"戦争"のおかげで急速に発展した。この面で見れば"戦争"は善である。
例えるならば"戦争"は意味も大きさも向きも持たない"点"であり、その"点"を起点とした"線"、ベクトルが存在し、それがどちらに向かっているかということが意味を持つ。終点が悲しみならば"線"は悪という意味を持ち、終点が喜びならば"線"は善という意味を持つ。
同様の事を"考える"という事にも言える。
"考える"という"点"に意味は無く、それを起点とした"線"が意味を持つ。"考える"という行為に対しては正しいも誤りもない。
"考える"という方法によって答えを求めるベクトルは正しいと言える。答えを求めないベクトルは誤りであろう。
"考える"という行為に満足しないで欲しい。あくまでも答えを求めるために"考える"事を当たり前にして欲しい。
"考える"という"点"から答えに向かって"線"を伸ばすには、当然知識も式も必要になる。それをしないでどうして"考える"事が出来ようか。

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戦争ネタはB向きだな。