その程度が理想ですか


理想の父親像として、「必要なときにしかる」父親が74%とトップになるなど、国民の多くが、「厳しい」父親を求めていることがわかった。
(中略)
父親の子育てについては、「世の中の決まりをきちんと教えられない父親が増えている」という人が80%に達し、「家庭教育の責任を十分に果たしていない」も52%に上った。さらに、今の父親が「子供から尊敬されていない」は58%、「一家の大黒柱として頼りにならない」も53%と、否定的な評価が相次いだ。
理想的な父親像では、「必要なときにしかる」に続き、「生き方や人生観を語れる」(54%)、「仕事に一生懸命取り組む」(52%)、「威厳を持っている」(49%)が上位を占めた
必要じゃない時に叱る父親が居るか。それは、「叱る」じゃ無い。「叱る」の定義によって居たとしても、必要じゃない時に叱る父親を理想にするわけが無い。「必要なときにしかる父親」っていうのは当たり前の事。
当たり前を理想にしてどうする。
当たり前が出来ていない父親が居るのか。じゃあその当たり前を捨てるべき。子供はわざわざ叱られないと駄目なのか。子供が自分で初めから考えられれば、叱る必要なんて起こらないだろう。子供を叱る事を理想にしている暇があったら、子供に叱られる様な事をさせない様な教育を先にすれば良い。
父親が「世の中の決まりをきちんと教え」ないと、子供が駄目になると思っているからこういう意見が出るのだろうか。子供は、父親の威厳を見なければならないのだろうか。父親に生き方や人生観を語って貰わないと駄目なのだろうか。そんな事は全く必要ない。必要なものだと子供が感じれば、自分で見て、学ぶだろう。本に書いてある。外に出たら分かる。学校に行けば分かる。子供が必要だと感じたものだけを親が与えれば良い。それで充分。子供が必要としているものが分からないのは、親の話す言語と子供の話す言語が違っているか、親と子供の間の距離が遠すぎて言葉が届かないか、親が子供の言葉を理解しようとしていないか。
世の中に必要な事なんて、親や他人に教えられなくても『ドラえもん』に全部書いてある。