見苦しいかどうか

似た様な事を思っている人が居るものだ。
僕が初めて携帯電話を持ったのは2001年12月末。2005年9月まで同じ機種を使い続け(oneではなくit)、漸く世間の波に乗りカメラ付き携帯電話を持った。
他人が携帯電話を操作する姿勢が、見苦しかった。だから、僕も同じ姿勢で携帯電話をいじっていると思うと、使う気にならなかった。今でもその感覚が抜けず、携帯電話をカメラ用途以外に積極的に使う事はない。電車内でもバス内でも待っている時でも、外を見ているか頭の中の会議室で雑談をしている。
他にも、みっともないと思ったり、見苦しいと感じたりする事はよくある。1日に1つ以上はある。サイズが1GB以上の修正パッチなんて見苦しい。こういうトラブルが無ければ純粋にゲームの評価が得られるのに……。
好き嫌いを主張する事はある。嫌いなものに出くわした時、自分に危険が及ぶ可能性があるからだ。だが、認める認めないを主張する事は少ない。認めないものに出くわしても、危険は恐らく無いであろうことを経験として知っているから。数直線上に並べると、「好き—認める—認めない—嫌い」という具合だろう。
きっと他人が僕に対して嫌いだったり認めていない箇所があるだろう。けれど、僕は僕の凡その箇所を認めている。個人の価値観に依存する話。