美しいネットワーク

白田秀彰インターネットの法と慣習 かなり奇妙な法学入門 [ソフトバンク新書]』読了。「コーヒーハウス」の話が面白かった。

現実の政治社会では、新総裁が誕生したそうだ。実に威厳がある。

が、ネットワークの社会にはあまり関係無いのだろうな、と改めて認識させられた。ネットワーク上に法が定まるのも、社会が構築されていくのも、まだまだこれからなのだ。
法の成り立ちなどの歴史からこれからのインターネット社会のあり方、進み方を解いていく構造は、何とも滑稽。所詮、社会に存在する選択肢なんてそんなものなのか。歴史は繰り返すと言って、同じ事をあちらこちらで過去の事象をループさせるだけに甘んじるのか。
一部のP2Pソフトウェアユーザの周辺事情が示している様に、現実の法では管理出来ない社会が存在する、という事はどういう事か。ゲームのバーチャル世界内では人殺しが出来る、という状態とはわけが違う。別の(新しい)社会が現実の社会に大きな影響を及ぼす。しかも、その社会の枠組みが存在していない。つまり、社会とも呼べないのだ。少しずつ違った枠組み、アーキテクチャが幾つも存在し、ネットワークを構築している。そんな曖昧なものを縛る方法を考える事は難しい。
世界を1つに統一し、縛り上げる事は難しい。しかし、地域に分け、国に分け、都道府県に分け、どんどん細分化し、互いの間を、条例や法や憲法や条約で、決まり事を何となく交差させてまとめているのが、今の社会だろう。
きっとネットワークも似た様な構造で、現実の慣習に従って、まとめられるんじゃないかな、と思うのは楽観的だろうか。しっかり縛り上げないといけない程、皆リベラルだろうか。
世界を編集出来る「編集力」を持った人。今最も求められている力だと思っている。