ちょっと研究に関するタグ付けの話

あまり人の研究に対してどうのこうの言いたく無いし、特に否定は最小限に止めたいのだが、時にはそういう事も必要だと思うので少しだけ。セックスから始まる恋もある(全然違う)。
タグという分類手法というか付加情報は、非常にWeb 2.0的で、気軽さや早い段階でのツールの充実が相まって、Web 2.0といえばタグ付け、の様な空気さえ感じる事がある。
実際にはてなサービスなどでも使われ、そういえば、Lightweight Language Ringではタグ管理が出来る家計簿を作って見せていた。もう、タグ無しにはデータベース管理、情報管理が出来ない、無かったら不便でしょうがない、と言う人も居るだろう。
しかし、結局のところ、タグをクリックしてすぐに情報に辿り着けるわけではない。ほとんどの人が、情報1つ1つに別のタグを付けずに、ある程度分類した項目タグ、「小説」とか「ゲーム」とか、そういうタグを付けていると思う。だから、結局、タグをクリックしても複数の情報から欲しい情報を目で探さなければならない。
ただ、タグがこれまで限りなく常識とされていたの構造、つまりディレクトリ構造と違う点は、階層を持たず、比較的短い手数である部分まで辿り着けるという事だ。メモリィで言うセットアソシアティブ方式に近い。
一方、Webなどの検索は、上手く使えば、ダイレクトマップに出来る。「上手く使えば」が問題なのだが。タグも、全ての情報にユニークなタグを付ければダイレクトマップになるが、分類という点からでは、問題がある。タグ付けでなく、要約付けになるか。オントロジィがもっと一般的に、使えるレベルになればもしかしたら有効かもしれない。
人間から見ると、タグを線形探索し、さらにタグで絞られた情報を線形探索する。タグからアクセスする事により、深さの無いツリーに見えて、結局、幅を持っている点がタグの問題だと思っている。
複数タグの組み合わせやタグクラウドである程度解決できるし、先に出したオントロジィがあれば表記揺れも解決する事が出来る。だが、今の段階で、もっと良い情報アクセス方法は無いかなあと思いつつ、論文を読んだり漫画を読んだりする毎日。