いじめ

何を今更、いじめについて語る事があろうかと思うが、語りたい人は常に居る。
人と人の間に摩擦が起こるのは自然の事で、差はあるし、確執はあるし、個性は(多分)あるし、好き嫌いはある。だから、人と人が相容れない事はしょっちゅう起こる事だし、それが所謂いじめになる事がある。
集団になると、それぞれの人に役割が与えられる。先生だったり委員長だったり同級生だったり幼馴染だったり。なりたくない役割もある。花瓶係とか便所掃除係とか肉便器とか。そういったなりたくない役割に、いじめられっこがある。
無くなる事は無い。必要悪としていじめが存在する以上、いじめられっこの役割を誰かが担い、いじめっこの役割を誰かが担う。
いじめられっこの定義は無い。いじめられっこは、いじめっこに殴られ、集団からの圧迫に我慢し、死ななければならない、とは何処にも書いていないし、勿論そんなはずは無い。
スルー出来ればそれで終わりなのだが、それを知らない者が多過ぎる。考える選択肢が少な過ぎる馬鹿が多い。そういう者が死ぬ。死ぬまで、死んだ後も他人に精一杯の迷惑を掛けて。存在を示す様に。死ぬのに。死んだのに。
楽になった、と死んだ奴が言うのを聞いた事が無いので、今のところ死ぬ気は無い。