ユーザが・作る・メディアコンテンツ

CGM(Consumer Generated Media、消費者主導型(生成)メディア)、UGC(User Generated Contents、ユーザ作成(生成)コンテンツ)、CGC(Consumer Generated Contents、消費者作成(生成)コンテンツ)。
日本ではCGMを使う事が主流だが、外国はUGC/CGCを使う事が多いらしい。統一しろ。
昔は、コンテンツというのは、テレビタレントが出演したテレビ番組や俳優が出演した映画であって、我々ユーザだとか消費者というのは、その名の通りコンテンツを利用し、消費するしかなかった。
Webは、技術的な面をクリア出来れば、個人というPeerが全て対等に立てる舞台だったから、CGMなどの単語で表されるコンテンツが登場するのは必然だった。
ところで、女子高生とかの猥褻画像を頒布しているWebサイトを幾つかブックマークに入れてたまに巡回しているのだが、聞いたところによると、こういう画像は元彼がアップしたり、家族がアップしたり、自分でアップする事もあるらしい。
Web 2.0が騒がられるずっと前、Webが浸透する前から、CGMは既に始まっていた。アダルトビデオや(裏本)写真集というメディアでしか提供されなかった性のコンテンツを、女子高生が発信した。1987年のブルセラショップ東京第1号店誕生から、現在まである援助交際という売春行為は、これまでAV女優や嬢がメディアに所属し専門/仕事として発信してきたコンテンツだったにも関わらず、一般人の女子高生が発信した。する事が出来た。まさに女子高生が自身そのものをコンテンツとしたCGMだと言える。それが可能だったのは、プリクラによる自身の宣伝の容易化、ローカルの口コミからポケベル、携帯電話の普及によるところが大きい。CGMを可能にするのは、発信者と受信者の存在と環境である。
コンテンツが集まり、メディアが生まれる。と単純にはいかない。コンテンツを集め、評価/取捨選択をして初めてメディアとなる。つまり、どういう形であれ編集は必要になる。管理者かまとめサイトページランクかユーザランキングか、集合知であろうと集合愚であろうと、「良い」メディアというのは、そういう仕組みを探求している。
まあ、冷めた目で見ているのだが、ブログ女王だのアルファブロガだの、コンテンツを作成者によって差別化し、Webをテレビ化しようとする動きは好きになれない。確かに、コンテンツの作成者を信用する事で内容を信頼出来るという、ユーザにとっての取捨選択の作業が減るという利点はあるものの、それではWebらしさが潰され、近い将来に今のテレビ局の様に、作成者が利益に走り、情報を乱す事は目に見えている。しないと思っているなら、それは信者乙ってやつ。