バカボンの腕の話

ふと思い出して、検索してみたら、割と有名な話らしい。
ある日、バカボンのパパは、「一度も顔を見た事が無い友人」に会いに、友人の家に行く。久しぶりの再会にも拘わらず、友人は顔を見せず、襖などから腕だけを出して、バカボンのパパをもてなす。友人は結婚しており、妻と子供が居るが、やはり腕だけしか見せない。顔を見せない友人家族3人とバカボンのパパは、鍋を食べる。そして、友人の家で火事が発生。バカボンのパパは逃げ延びるも、やはり友人家族の姿は確認出来なかった。
そして、火事のあった家から、3人分の腕のみの骨が発見される。

友人家族の腕以外の部分は、常に隠れていて、バカボンのパパ含めて常識ある我々であれば、隠れている部分には腕以外の身体があると判断する。しかし、結果、彼等は腕のみの存在だった。
これは極端な例だが、常識だの当然だのというものは、意外に脆い。今は総意に支えられた確かな知識でも、後に古いものになったり、嘘になったりする。
見えなくてもあるに違いないと思いこむ事、見えるからあるに違いないと思いこむ事は、正しさを前提にしているとしても、間違っている可能性がある事を忘れてはいけない。