腕時計
電車に乗って、座席に座っていたら、前に立っている人の左腕が目に入った。
思わず写真に撮ってしまったが、何がおかしいかわかるだろうか。
写真に撮るほどのものか、とは思ったが、その「おかしさ」を記録し、ブログに書くことを想像してしまったので、つい、いつも腰にぶら下げているデジカメを操作してしまった。この人は気付いたろうか。次に停まった駅で降りて行った。
文字盤を、自分側ではなく外側に向くように、左腕に腕時計を付けていたのだった。
この装着方法によって、自分に利点がある場合というのはどういう場合だろう、と考えた。
腕を自然に曲げると、自分からは逆さまの文字盤を読むことになる。ろくろ首の様に首が回れば(あるいは上半身を捻れば)正方向から見ることも出来るが、これは見難いという欠点しかないだろう。
時計を宣伝するための、ファッションモデルであれば、尚更自然な形で装着する方が好まれる。
そのまま正面の鏡に向ければ、左右が逆になるが、上下は合う。読めないことはない。この人は鏡で反射して時計を見るという場合を常としているのか。だとすると、床屋などの職業であると推理できる。客の顔から目を離さずに時計を見るには良い方法かもしれない。店に大きめの時計を置いて、鏡から見える位置に配置する方が見易いと思うが。
常に他人に時計を見せている仕事。道端でパントマイムの様な大道芸をしているのかもしれない。自身が時計台の役割をして、時刻を知りたい人達の役に立っているのかもしれない。そういえば、駅や公園周辺以外に街中で時計を発見することは、少し難しいかもしれないから、良いところに目を付けたとも言える。この仕事のためには、人が近づき易い恰好をしていなければならない。
人には人の合理性があるものだ。