こいこい

認めなくちゃいけないのは、何をしているときも、自分と関係あることでもないことでも、運というのが少なからず誰かの主観で存在しているということだろう。
運が良いという表現は、幸運と言い換えられる事から分かる様に、多分主観的に幸せであって、運が悪いという表現は、悲運と言い換えられる事から分かる様に、多分主観的に悲しいのだと思う。
で、運の良し悪しで、ある場面の結果が決定するわけで、ゲームのランダム要素の様に諦めが付くものでもなく(また当然リロード出来るものでもなく)、後に考えれば違う結果もありえたな、そしてそれは自分の行動で変えられたな、と、それが例え遙か過去の変更を必要としていたとしても、反省したり後悔したりすることが出来、故に幸せだとか悲しみだとかを感じて評価することが出来る。
それはある意味、自分を客観的に見て、別行動をした自分、別の運を持った自分、極端に言えば、現実世界の時間や空間と切り離した別世界の自分を想像出来るわけで、それが後の現実世界に影響を及ぼすこともあれば、そうでなくてただの妄想に終わることもある。
当たり前の事をつらつらと書いて、それが誰もが昔から書いていたことでも、自分が今この瞬間に書いていることは、明確に自分が書いたことであって他の人の書いたことではなく当然自分の意見になる。
書くことで、「あなたとは違うんです」。

花札
花札 posted by (C)Yoshiyasu